ロジカルシンキングを人類全員が学ぶことで考え方が均一になってつまらないのか?

野谷茂樹の「論理トレーニング」という本をパラパラ見ていて思ったことを書く。

論理的思考というものがある。ロジカルシンキングともいう。論理的思考を学んだ人は全員同じような考え方をしてしまうのだろうか。

論理的思考には二つの要素がある。「論理的」と「思考」。

この二つの違いを理解するために、野矢茂樹著「論理トレーニング」の序論を見てみよう。


(〜〜〜略〜〜〜)

一般に、論理力というのはすなわち思考力だと思われているのではないだろうか。「論理的思考力」とか「ロジカル・シンキング」といった言葉がよく聞かれるように、論理とは思考に関わる力だと思われがちである。だが、そこには誤解がある。論理的な作業が思考をうまく進めるのに役立つというのはたしかだが、論理力は思考力そのものではない。

思考は、けっきょくのところ最後は「閃き」(飛躍)に行き着く。

(〜〜〜略〜〜〜)

思考の本質はむしろ飛躍と自由にあり、そしてそれは論理の目的ではない。

論理は、むしろ閃きを得たあとに必要となる。閃きによって得た結論を、誰にでも納得できるように、そしてもはや閃きを必要としないような、できるかぎり飛躍のない形で、再構成しなければならない。なぜそのような結論に到達したのか。それをまだその結論に到達していない人に向かって説明しなければならないのである。

ここで重要なのは、あなたがその結論に到達した実際の筋道ではない。実際の思考の筋道は、すでに述べたように、最終的な閃きに至った紆余曲折のある道だろう。苦労話をするというのでもないかぎり、それをそのままアピールしても意味はない。どういう前提から、どういう理由で、どのような結論が導けるのか。そしてそれ以外の結論はどうして導けそうにないのか。そうしたことを、論理的に再構成して説明するのである。

(〜〜〜略〜〜〜)

繰り返そう。思考の筋道をそのまま表すのではない。思考の結果を、できるかぎり一貫した、飛躍の少ない、理解しやすい形で表現する。そこに、論理が働く。

さらに、そのように表現されたものをきちんと読み解かねばならない。その結論はどのような根拠から導かれているのか。その根拠は結論を導くのに十分強いものであるのか。あるいは、議論全体の方向や筋道はどうなっているのか。そうしたことを的確に読み取り、理解し、また評価する。それもまた、論理である。

それゆえ、論理力とは、思考力のような新しいものを生み出す力ではなく、考えをきちんと伝える力であり、伝えられたものをきちんと受け取る力にほかならない。つまり、論理力とはコミュニケーションのための技術、それゆえ言語的能力のひとつであり、「読み書き」の力なのである。

この序論にある通り、論理は思考によって得られた結論を、誰がみても理解できるように再構成するものであり、ただそれだけのツールにすぎない。

だからロジカルシンキングを学んだ全員が同じような考え方をするとは思えない。人それぞれ、思考によって得られる結論は異なるだろうからだ。ビジネス書で学べるようなロジカルシンキングは、思考の結果をいかに再構成するか、また、どのように思考すればより合理的な結論が導けるのかという思考の進め方だといえる。

…書きながら思ったが、”どのように思考すればより合理的な結論が導けるのか”という思考の進め方を、ロジカルシンキングという形で画一化してしまったら、ロジカルシンキングを学んだ人全員が同じような考え方になってしまわないだろうか。

論理トレーニングの序論の、「その結論はどのような根拠から導かれているのか。〜〜〜それもまた、論理である。」の部分がまさに”どのように思考すればより合理的な結論が導けるのか”ということを言っている。

例えば、思考と論理の試行錯誤をしているとする。まず初めに閃きを伴った思考が行われて(思考力の発揮)、それを論理で再構成したとする(論理力の発揮一回目)。そしてその結論と根拠を吟味し(論理力の発揮二回目)、より妥当な根拠や結論を探す。

このような状況では、

(思考力)→(論理力)→(論理力)→(論理力)…という形で、最終的に論理力だけで結論と根拠が得られてしまっているような気がする。そしてその論理力の発揮の仕方が、ロジカルシンキングという形で画一化されてしまっていたら、ロジカルシンキングを学んだ人が全員同じような結論と根拠に至ってしまうような気がする。

それか、もしくは、

まず初めに閃きを伴った思考が行われて(思考力の発揮一回目)、それを論理で再構成したとする(論理力の発揮一回目)。そしてその結論と根拠を吟味し(論理力の発揮二回目)、より妥当な根拠や結論を探す(思考力の発揮二回目)。それを論理で再構成し、(論理力の発揮三回目)そしてその結論と根拠を吟味し、(論理力の発揮四回目)さらにより妥当な根拠や結論を探す(思考力の発揮三回目)。

というような状況であれば、

(思考力)→(論理力)→(論理力)→(思考力)→(論理力)→(論理力)…という形で、論理力と思考力が相互作用しあって最終的に結論と根拠が導かれているのであれば、ロジカルシンキングを学んだ人全員が同じような考え方になることはないのではないか。

…いろいろ不毛なことを考えている今日この頃です。

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